『行基鍋』とは?
『行基鍋』は、「行基さん大感謝祭」が発足した2018年に誕生しました。当時の東大寺管長さんの「行基さん大感謝祭の取組には種々多様な団体が集まっておられ、まぁ、ごった煮、いわば『行基鍋』みたいなもんですな」との一言から始まったのです。森妙子さんが試行錯誤の末にレシピを創案され、参集の皆さまにお振舞いされました。
「行基鍋」を記した史料はまだ見つかっていません。しかし「数千、多くは萬人を集め、妖言して衆を惑わす」と朝廷から糾弾された行基集団なら、折々に大鍋を囲み議論百出、団結を深めたに違いありません。
コロナ禍で途絶えていた『行基鍋』の復活を模索するなか、「もう少し面白く楽しい取り組みも考えてみたら」との春日大社宮司さんのご助言もあり、実行委員会での議論が大いに盛り上がりました。
東北に色濃く残る大鍋を使った「芋煮会」、いまや東北にとどまらず全国に知られる山形の「芋煮会」の大鍋を飛火野に持ち込めないかというのです。
東北の南半分にも行基を開祖とする寺院が数多く存在しており、行基集団の活動が東北にまで及んでいたことは間違いなさそうです。「良田百万町歩開墾計画」と「三世一身法」を背景に、行基の弟子等は全国で新田開発に取り組み、北限の地が東北の真ん中だったのです。
そのころ東北では、大和朝廷と蝦夷との間で緊張が高まり戦闘が続いていました。大和朝廷側からみれば日本の統一に向けた闘いであり、蝦夷側からみればいわれなき侵略戦争を仕掛けられたとなりましょう。
平城京時代の東北は日本全体からみて最も過酷な戦争の地でした。
地球規模で見れば今も戦火がやむことはなく、ウクライナや中東では今も戦闘が続いています。
東北で鋳造された大鍋(製作協力:一般財団法人みちのく創生支援機構、株式会社鈴木鋳造所)を用いて提供される『行基鍋』を、往時の首都・奈良の飛火野の地でお楽しみいただけるなら、これにすぎる喜びはございません。
行基さん大感謝祭実行委員会
写真提供:鈴木鋳造所
行基鍋が10月9日朝、奈良に届きました
山形県から2トントラックに載せられ丸2日かけて奈良県まで運ばれてきました。重さは88キロもあり、大人4人がかりでも運ぶのに苦労するとても大きな鍋です。
試食会
10月27日に東紀寺町の「うまいもん鬼太郎」さんに場所をお借りして、行基鍋の試食会を行いました。見た目から具材まで実行委員同士意見を出し合いました。
大盛況!当日の様子
当日はお振る舞いをオープニングセレモニー終了後の11時30分から開始する予定でしたが、行列が出来たことや、NHKの取材などもあり11時過ぎから前倒しでスタートしました。
用意しておいた約550食が1時間余りで無くなってしまい、お昼のNHKニュースをご覧になってお越しいただいた方に提供できず申し訳ございませんでした。
肝心のお味の方は大変好評で、ニュースのインタビューやSNS上でも「美味しい!」との感想をたくさんいただきました。
奈良まほろばソムリエの佳山隆生氏が行基鍋の振る舞いの様子を動画にしてくださいました。